部屋いっぱい広がる コーヒーの香り。

唇にカップが触れ その液体は 舌を滑らかに いたぶり

のどの奥に 落ちていく。至福のひととき。

でも 川西屋が 提案しているのは その先、

特別な人のみ 味わえる 特別な時間。

飲み終えて 深い吐息の後

静かに カップを 眺める。そこには わかる人のみ 味わえる特別な時間、空気。芸術的と言うのは言い過ぎか、

しかも このカップには周りに存在しない 表現表情がある。

何故なら 作家自身が 周りに存在しないこんなカップ欲しい、と 強く望み、膨大な試行錯誤の中から 拾い出した技法によって生み出されたものだから。最初の十年は ただもがくだけ 僥倖は 窯の優しさ、十の焼成から 一個また一個と まるで宝石のように ひっそりと姿表してくれた。その喜び驚き、僥倖は続かず 3年間 ゼロの時も。再現出来ないもどかしさ。誰かに 教わるなんて出来ない。なぜなら 周りに 何処の工房も 何処のデパートにも無い 何かを 追い続けてきたから。

最近 本当に最近 技法らしきものが 見えつつある。

やり尽くされてる 陶芸の世界で 新しい表現は 昔不可能だった技法からしか生み出さない。

当然 高額になる。理由は二つ 一つは、新技法、多い時十度にわたる 重ね焼成、削り 釉薬かけ 焼成その繰り返し。

二つ目は 選び抜いてること。特別な一品が そうそう出るもんじゃない。一窯に一個は良い方。お願いがあります。

そうやって 生まれ出てきた カップを 慈しみ味わって欲しい。掌の中に抱き、さすり、重さを感じ 唇で触れる。

ゆっくりした喉越しの後 目を細め じっくり眺めて欲しい。 炎の跡 いく層にも重なり溶けあった釉薬の底に眠る美しさを 発見して欲しい。

そうして偶然に助けられたとはいえ 生み出し、取り上げた作家の 営み 熱情も 少しだけでも

感じていただけたら この上ない喜びです。