2022/04/05 09:28

プロフィール変更しようと思う。
前のプロフィールここに記憶した。
出来の悪い一文だが仕方ない

プロフィール 2021
前のプロフィール読むたびになんと大言壮語 言い放ったんだと恥ずかしく 早く変えなきゃと 思い続けてきた。しかし 作陶始めた 20年ぐらい前は 感性の震え凄かったようにおもう。例えば書の世界 夢の世界に 本阿弥光悦 出てきたこと 当たり前のように あって今でもその シーン目に浮かぶ。著名な書家でも いい出来とそうでないもの 普通に感じられたし。田舎の書の先生の展示会など あー こんな気持ちで 書いているなあと 
一人批評していた。
肝心の陶芸で言えば 楽 美術館 訪ねたとき
似たようなものばかりの中で やはり 初代長次郎がオーラ放っていると確信していたし、備前焼は近いので いろんな窯元 見たが 金重陶陽が最高で その後 沢山でてきた有名作家しのぐなあ とか。
今 同じ体験したとして 同じような感覚感性あるのだろうか。
スポーツ選手が フィジカルも感覚も 衰えるように 自身も そんな感性鈍ってしまったのだろうか。そして その思いを決定的にしたのが コロナワクチン2回目摂取。熱 食欲不振 不眠 胸のつかえ などは覚悟していた。
だが、想定外は 感性の剥落とでもいうか 味覚おろか 音楽の世界も。  視覚感性 触覚感性も。 嘗て感激した 芸術作品に触れても 昔のようでない。作家にとっては 大問題。どうしようかと 随分狼狽えた。
幸いなことに以前のようにでは無いが 時間立つにつれ 感覚戻ってきたようだ。のめり込むようなものは無いが
より 俯瞰した感覚とでも  第三者的視点とでも 言うべきか 
作品にたいしても 作家に対しても 感じること多く なった。
ブログも書くのが追いつかない。
ただ 3回目のワクチン接種控えて当然 不安がある。落ち着いたら
全く違う世界見えてくるかもしれない という期待もあるが。
 節目として 今の思い感覚を プロフィールとして 書き換えておこうと思う。

とんでもない値段付けてる作家だなあと呆れるのは当然と思う。周り見てみろよとね。じゃそうする根拠挙げてみます。複数回の焼き直しの作品であるとか作品数が極端に少ないとか。事実だがこれらは作家都合の話であり、根拠としていません。
 根拠第一として普通の周りに見ない作品であること。陶器店・展示会・個展・ウェブ上作品、見続けてきましたが、この様子、他にありません。第二に、魯山人や仁青に見える
デザインのハイセンス性とか筆遣いの精緻さや構成の妙といった知性でとらえうる作品性ではなく、光悦、円空、初代長次郎など、作品に共通する本質、すなわち言葉や五感ではとらえられない人類の美的感性DNAに依拠し、湧き出た好ましいものといった共通点。これに連なる作品だと思っています。
 魯山人の才やに仁青の精緻な完成度は望むべくもないが、知性的感性はとらえることができる。対し、光悦や、初代長次郎の実在物は頭ではとらえられない。手の中に触れず包み込み、沁みだしてくるようなもの。円空のほほ笑みは、教えられないもの。
川西屋自身が評価しているものは、後者の部屋にあるものととらえている。こんなことが言えるのは、川西屋のいくつかの作品は、作家の力量とは別の処から 湧き出た逸品であるから。窯の力や偶然のかさなりの産物。敢えて作家の力といえば浮遊する偶然から  それらを引き出戻し見つけ出したこと。